寝ても覚めても夢を見るんだ 普段により比較的早めに仕事を切り上げた。 駐輪場。響也はメットを両手で持ち、バイクに腰掛けたまま、窓灯りも疎らな仕事場を眺めていた。 もう随分と馴れたつもりだったが、真っ暗な自宅へ帰るのが時々酷く苦痛になる事がある。理由はわかっている、ただのくだらない感傷。それでも心というヤツは厄介で理屈や理論はお構いなしだ。 まさしく今夜はそんな夜だったから、一旦家に戻ってから飲みにでも出ようかと思っていた。ひとりで飲むのも良いし、弁護士くんに声を掛けてみるのも良い。 そんな事を思っていると、携帯の着信を告げる電子音が聞こえてきた。愛想もクソもないその音を割り当てているのは、たったひとり。響也は眉間に皺を寄せて、携帯を耳にあてた。 「…はい。」 『おいで。』 「はぁ」 何が…ていうか一応名乗れよ。響也は益々深くなっているのであろう眉間に指をあてる。何か、オデコくんの仕草に似ているような気がする。 「成歩堂さん。一体なんですか?」 『だから、うちにおいでよ。響也くん。』 「何で!?」 思わず上げた叫び声に、警備にあたっている警官の視線が一斉にこちらを向いた。片手を顔の前にたてて、何でもないと頭を下げる。恥を掻いてしまったじゃないか。 『今夜、みぬきが外泊しちゃってさぁ。ひとりぼっちは寂しいんだよね、僕。』 気怠そうな声が淡々と続く。 「オデコくんにでも来て貰えばいいじゃないですか。一応貴方の部下になるんでしょ。」 あれは、家族みたいなもんだからなあと笑う。だったら、尚更そうしろよ。家族団欒に僕を巻き込まないでくれ。 『でも、僕は君がいいの。』 ぐっと息が詰まった。反論の言葉が出て来ない。 『ねぇ、響也くん。言ってる意味わかるよね?』 明らかに、頬が熱くなった感覚に思わず俯く。 このまま黙っていると、耳元で具体的な説明が始まり兼ねないので、響也は慌てて「だから、何だよ」と返事をした。明らかに笑いを含んだ男の声が、感じるはずのない吐息を耳元に運ぶ気がして、肌が粟立つのがわかる。 『待っているから。』 次の瞬間には、通話が終わりを告げた音が耳に届いた。都合も何も聞いてちゃいない、一方的な呼出を畜生と思う反面、確かに逢いたいと思う自分に腹が立つ。 腹は立つのに、門を出て自宅へと曲がるべき交差点を反対方向へ進路をとった。 「はい、差し入れ。」 途中のコンビニで仕入れて来たビールとお摘みが入った袋を、成歩堂の鼻先にぶら下げる。白い袋が顔の半分を隠して、無精髭をたわわに実らせた口元がにやりと笑うのが見えた。 「こんな気遣い良かったのに。」 それでも、遠慮するわけでもなく手を差し出すからその上に乗せてやれば、いそいそと事務所のテーブルに置く。そうして、ソファーに響也を手招いた。 「ちょっと、飲んで待ってて。」 「待ってって、何? 出掛けてくるのかい?」 思ってもいなかった成歩堂の言葉に、響也は目を丸くした。そうして、成歩堂がニット帽を被っていないことと、パーカーを脱いでシャツ一枚になっている事に気付く。 「想定外に早かったから、やっと私室の片付けが済んだところなんだよ。」 え…? 「シャワーを浴びてくるから、待ってて欲しいんだよ。」 ええ? 完全に固まってしまった響也を見て、成歩堂はクスリと笑った。 すっと、近付くと無防備になっている唇を塞ぐ。途端に入り込む舌は、響也を翻弄したが、成歩堂と密着した鼻は汗の匂いを嗅ぎ取っていた。整髪剤も使用していないようで、体臭以外の香りを成歩堂は纏わない。 成歩堂に誘導されるまま、響也はすとんとソファーに腰を落としていた。 軽く上がった息と、縋り付くように掴んだ成歩堂に服に気付くと、唇を覆い顔を逸らす。 「じゃあ、適当にくつろいでて。」 成歩堂が消えた奥の扉を眺めて、響也は唇を塞いだまま俯いた。途端に聞こえてきたシャワーの音に心臓が大きく脈を打った。いますぐ此処を逃げ出したい気持ちが膨れ上がって来て、膝に置いた手をを握りしめる。 成歩堂がどういう意図で自分を呼んだのかはわかっていた。それを無視せずに此処へ来る程度には、響也も成歩堂を嫌いではない。 でも、これは反則だろうと響也は頭を抱える。 いつもなら、此処で酒でも飲みながら話しをしていて、気付くとそういう雰囲気になっていて何となく関係を持ってしまう。こんな、あからさまに何をするのか意識させてきたことなど一度も無かったのだ。 初めてではないのに、まるで初めてあの男と関係を持つような感覚だ。 なのに、初めてでは無い行為が次々と脳裏に浮かぶので始末に負えない。それに、さっきの成歩堂の匂い。否が応でも腕の中にいるだろう時間と行為を意識させる。 加速度的に上がっていく羞恥に耐えられなくなり、逃げだそうとした寸で、扉が開いた。気付くとシャワーの音はとっくに止まっている。 「響也くんも浴びる? シャワー。」 頭からバスタオルを被りゴリゴリと動かしながら、成歩堂が聞いてくる。 自分が真っ赤になるっているのが見えているんだろう。笑い顔が、酷く嬉しそうに見えた。畜生、髭くらい剃ってこいなどと、あらぬところに反発しする。 「あ、ああ。そうさせてもらおうかな。」 引きつった笑顔を見せながら、これも時間稼ぎと風呂場へ向かおうとした響也の腕を、成歩堂が掴んだ。 ありえないほどの笑顔。 「響也くん。」 「なんですか?」 シャワーを浴び、上がった成歩堂の体温は、服の上からでも充分熱さを伝えてくる。すっと腕を引かれ、肩を抱き寄せられた。 「このまま、しようか。」 有無を言わさぬ雰囲気に、響也は頷かざるを得なかった。 content/ next |